薫る言葉

本や映画のことなど、思ったことを言葉で表せるように

セメントの記憶

外国語をそのまま読むことと、訳すことの違いに改めて驚いている。

 

すらすらと何の気なしに読めていたはずの外国語が、訳すということになると途端に難しく感じるのは、そもそもの自分の外国語能力を見誤っていたからなのか、それとも翻訳という行為が想像以上に難しい行為なのか。

 

根気よく言語を見つめる我慢強さがなれけば翻訳をやっていくことはできないだろう。

そう自分に言い聞かせながら少しずつ進めていけたらと思う。

 

 

話は変わるけれども、昨日は映画の日だったので『セメントの記憶』という映画を観てきた。レバノンの建設場で働くシリア難民の人々のドキュメンタリーだった。暗く重い雰囲気を予想して行ったのだけれど、予想以上に映像美と間で見せるような映画だった。ある男の語りのみでセリフはほとんどなく、働いている人たちも無言であった。本当にあんなに話さないものなのか、魅せるように作り込み過ぎなのではないかと疑問はあったけれど、徹底して無表情な毎日が描き出されていて、それが非現実的でありながらも現実であるシリアの状況を良く表していた。建設と戦争がどこかで重なり合い。作っては壊れていくセメントが悲しく冷たいものに感じた。途中で何度か眠たくなってしまったけれども、眠たくなるような現実、寝て目を背けたくなるような現実がどこかにあるのではないかとも思えた。

 

新しい生活が始まることが映画の彼らには無いかもしれない。そう思うと、自分の生活の表情の豊かさに安堵した。